2010年2月4日木曜日

「小沢一郎」的政治業の限界と破綻

1.はじめに

 「小沢一郎」的政治業とは、、、と書いて続ける気の重さに戸惑ってしまう。私たち国民が求めている「政治家」像とは、私の考えではそれと全く異なる「政治屋」の属性と思われる。また、それならば、その政治屋をどの程度知り、分析し、理解したうえで論じるのか。伝えられた間接的な虚像をもって判断する気の重さ。さは然り乍ら、そうせざるを得ない対象であることの重さ。それを意識しつつ進めていこう。

 政治家の在り方とは、選挙民から選挙によって選出され、その付託された権限に基づいて、法律(ルール)を制定し、選挙民の福利厚生や益増進に貢献すること。また、関連する内外の利害関係を調整することなどが実務的な面といえる。さらに、その根本となる精神的な面は、国家(団体)の方向性や意義をビジョンとして指し示し、己を捨ててもこれを達成するというリーダーシップを持つことであろう。

 小沢一郎的な政治屋の成り立ちを簡略に記すところから本題に入ろう。27歳という若さで初当選してから、田中角栄元首相に引き立てられ薫陶を受けた。その後、自治大臣兼国家公安委員長を経て、自民党幹事長に就任。常に政治の全線で剛腕と破壊を繰り返す、政界の「壊し屋」政治屋の経歴の始まり始まり。

 宮沢内閣の不信任決議の際に造反し、自民党を離党。流動化の中心として、新生党、新進党、自由党を経て、自民党との自・自連合で政権に復帰。その後、自自公政権で存在感が低下した自由党は連立を離脱。この際に連立残留派と政党助成金の分割を巡った「金(カネ)」を巡る争いを起こす。その後民主党と自由党の合併となり、この際に自由党から小沢一郎が代表を務める改革国民会議に自由党の政党助成金5億6096万円を含む13億6816万円の寄付行われ、ここでも「金(カネ)」を巡る問題を起こした。その後、民主党代表となるものの自民党福田総理総裁との連立を民主党代表としてリードするも党内の合意を得られず、「プッツン」したとして代表辞任を訴えるも慰留を受け続投。また、2009年5月に西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で代表を辞任した。

 小泉劇場・自民党人気のあおりを受けて存在感のない民主党であったが、安倍、福田、麻生と政権たらいまわしの中で景気後退や政治不信が募り、自民党が自滅的に国民の信を失う中、2009年の衆議院選挙で「政権交代」を旗印に地道な選挙戦を戦い抜き、自民党政権を終焉に追い込んだ第一人者。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E4%B8%80%E9%83%8E

2.政治家の姿

 価値観は個人的なもので、また、時代背景により異なることもあるが、明治維新の偉勲の一人である西郷隆盛の政治家の在り方を記した「西郷南洲遺訓」を例としてとりあげよう。

 万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を努め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行なはれ難し。
 租税を薄くして民を裕にするは即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐げぬもの也。
 会計出納は制度の由って立つ所、百般の事業皆これより生じ、経綸中の枢要なれば、慎まずばならぬ也。その大体を申さば、入るを量りて出ずるを制するの外、更に他の術数なし。
 節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決してあらず。西洋各国同然なり。上に立つ者下に臨みて利を争い義を忘るる時は、下皆これに倣ひ、人忽ち財利に趨る。
 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬ也。

3.判断の根拠

 直接会ったこともないので人のコメントなどを三題話としてまとめよう。

(石原慎太郎氏の判断)

「私は彼を評価しません。あの人ほどアメリカの言いなりになった人はいない。大した党にならないと思うね」と酷評。「(小沢氏は)自民党を牛耳っていた金丸信元副総裁らを背景に自民党幹事長を務めたが、アメリカに言われて、造らなくていい公共工事をやって、湾岸戦争の時は、一瞬にして戦費支出を決めた。自民党で一番いい思いをしたのは、あのグループ(旧経世会)じゃないの」と指摘。

産経新聞に掲載された「日本へ」(石原慎太郎によるエッセイ)

 あの後とは、私が議員時代自民党が金丸信なる悪しき実力者の君臨の下経世会に支配され、その後体よく自民党を割って飛び出し新党を作って転々し今は民主党のフィクサーとして在る小沢一郎がその配下として幹事長を務めていた頃、日本はアメリカから構造協議なるものを持ちかけられ内需の拡大という美名の下に貿易を抑制し国内で無駄な支出を重ねることで国力を衰弱させよという圧力に屈した後々のことだ。大体、「構造協議」などという二国間協議のもっともらしい名称は国民の目を憚(はばか)るために日本の役人たちが改竄(かいざん)したもので、相手側の原文はストラクチュラル・インペディメンツ・イニシャティブ(構造障壁積極構想)、その「積極性」を持つ者は当初からアメリカということだ。それを当時の政府は国民への体裁を考慮し敢えての改訳を行った。そもそもこうした経済会議はOECDとかWTOといった汎世界的な協議機関で論じられるべきなのだが、他の先進国たちも相手が日本なら放っておけということでアメリカの非を唱えはしなかった。
 その場でアメリカが持ち出した要求は二百数十項目にも及ぶ内容で、中には日本の実情を無視した荒唐無稽(むけい)なものも数多くあった。それに対して私たち有志の勉強会「黎明の会」は日本としての対案を百四十項目作って相手にぶつけさせようとしたが、その提案を申し込んだ自民党の最高議決機関の総務会を小沢幹事長は会期末に意図的に三度続けて開かずに封殺した。仕方なしに他に場所をもうけ、外国人記者クラブでもその案を発表したが、当時の日経連会長の鈴木永二さんにこんな良い案の発表が遅すぎると叱(しか)られたものだった。

 しかしその後金丸、小沢体制下の自民党政府はさらに、向こう八年間に400兆の公共事業を行って内需を刺激せよというアメリカからの強い要請を丸呑みして、結果としてそれを上回るなんと430兆の公共事業を行ってのけたのだった。その結果夜は鹿か熊しか通らぬ高速道路があちこちの田舎に出来上がった。

「Will」2007年9月号に寄せられた石原慎太郎による記事「小沢総理なんてまっぴらだ」より

 そして1991年に湾岸戦争が起きた。ブレディというアメリカの財務長官が日本に圧力をかけに飛んできた。アメリカにはカネがないから、日本はカネを出せと言いに来た。
 当時は傀儡政権の海部政権、これは金丸と小沢が作った内閣です。金丸は海部の言うことなんか全く聞かずに、自分で人事をし、内閣を作った。海部は総理にしてもらっただけで、人事は何もできなかった。
 その海部内閣の主要閣僚、外務大臣・中山太郎、大蔵大臣・橋本龍太郎、通商産業大臣・武藤嘉文、内閣官房長官・坂本三十次の四人で紀尾井町の「福田屋」という料理屋で接待したら、ブレディがいきなり40億ドル出せと言った。
 四人はぶったまげて「そんなカネは急には出せない」と断った。ブレディは繰り返し三回言った後、「駄目なら俺は帰るぞ。駄目なんだな」と念を押した。
 「よしわかった。これで日米関係は悪くなる。あんた方の責任だ。もう一回名前を教えろ。中山、橋本、武藤、坂本だな」。
 そうしたら慌てて一人が立ち上がって「ちょっと待ってください!」。恐らく官房長官の坂本でしょう、そう言ってある人に電話をかけた。
 当然、相手は幹事長の小沢です。その後には金丸がいたろう。小沢が相談して、金丸が「それじゃあ出してやれ」となって、40億ドル出すことになった。
 ブレディは日本に四、五時間しかいなかったのに40億ドルせしめて帰ってきて、ワシントンで記者会見をした。
 私は日本の政治家で一人だけ外人記者クラブのメンバーなんです。年中アメリカ人の記者と喧嘩する。喧嘩すると仲良くなるので、こちらに嫌な情報も教えてくれる。その一人からブレディの情報を聞いた。けれども嘘か本当かわからない。NHKの日高義樹くんが当時ワシントンの支局にいたので、帰国した時に裏をとって聞きました。その通りだと。

 記者会見で、記者が「あまり機嫌がよくないけど、日本はやっぱりカネを出しませんでしたか」と聞いた。ブレディは「出したよ」と答える。
 記者が「不機嫌なのを見ると、額が少ないんですね?いくらなんですか?」と聞かれて、ブレディが「40億ドル」と言ったら、みんなぶったまげた。
 日本に数時間しかいなくてそれだけのカネが取れたのなら大成功じゃないですか、と言われたブレディがニヤッと笑って「俺は二日かかると思ったんだが、アイツらちょっと脅かしたら四時間でカネを出した。だったら最初からもっとふっかければよかった」。こんなことまで言われていたんだ。
 その後、さらにアメリカは90億ドルを要求してきた。さすがにこれは内閣の一存では決まりませんから、九月に臨時国会を開いて、結局、合わせて130億ドルを出してアメリカの戦争を助けた。
 ところが出した直後に戦争は終わってしまった。カネをどう使ったか報告がない。日本にキックバックしたという噂があります。日本のメディアはやる能力も覇気もないから調べられない。アメリカ人の二人の記者が書きました。そのカネが誰にいったのか。想像に難くないけど。

 そして、それからすぐ小沢一郎は党を割って出て行った。
 その後、1992年に金丸事件が起き、金丸さんは略式起訴された。警察が金丸さんの事務所に踏み込んでみると、刻印のない金の延べ棒が出てきた。金塊というのは、それを作った国の刻印が必ずあるんです。刻印のない金塊は北朝鮮です。北とどういう取り引きがあってのことか。途中で当人が亡くなってしまい真相は闇に葬られてしまった。
 小沢・金丸は何をやったんですか。アメリカに約束した八年間に430兆のカネを無駄遣いして日本の経済力を弱めた。
 430兆のカネを使って何をやったか。沖縄の経済需要の全くない島に5万トンのコンテナ船が着くような港ができている。市長が自慢して見に来てくれと言われたけれど、船が来るのかと聞けばニヤニヤ笑うだけ。
 北海道で熊や鹿しか出てこないようなところに道路を作った。その先に街なんかありゃしない。そういう馬鹿なことをやった。みんな国民の税金です。そのため国債も発行した。それで日本の財政はガタガタになってしまった。
 いまだに670兆という厖大な国債がある。あっという間にイタリアの倍の国債依存率になってしまった。この体たらくを作ったのは誰なんですか。

 今、年金の問題で騒がれているが、これはまさしく組合の体質の問題だ。四十五分働いて十五分休む。一日にキーボード五千字しか打たない。原稿用紙にしたら十二枚半だ。小説で十二枚半書くのは大変だけど、そこにある資料を打ち込むだけです。こんなものを業務協定で約束させる組合なんて、昔の国鉄よりもっと悪い。
 国鉄は民営化することによってよくなった。当時の国鉄の中に、西日本の井出、東日本の松田とか、東海の葛西とか、そうそうたる連中が体を張って組合と戦い、殺されるのを覚悟で民営化した。
 社保庁も安倍総理が、このままじゃ駄目だ、一度つぶして、解体し新しいものにしようとしている。それに反対しているのは組合におもねっている民主党じゃないですか。

 アメリカの言いなりになって、いまだに国をアメリカ化するための要望書をつきつけられている。こんな国は日本しかない。こんな体制を作ったのは誰か。小沢一郎じゃないですか。こんな男がリードする政党が日本を変えていくとはとても思えない。
 私は民主党に期待しているんです。しかし岡田君も挫折した。前原君もつまらんことで挫折した。ああいう若い人たちがもう一度立ち上がって、若い仲間と若い発想で、自民党が思いもつかないことを考えてやってくれることを期待しています。

 しかし現在上に立っている小沢一郎たちに、何を期待するんですか。彼が過去にやってきたことを思い出すと、本当に怖い。彼が日本の親父になるのは、ひとりの日本人として、まっぴらゴメンです。

(奥村貞雄氏の判断)

奥村貞雄氏は自民党幹事室に1965年から1996年の31年間勤め、22名の幹事長に仕えた。以下は「自民党幹事長室の30年」(中央公論社2002年12月10日発行)からの引用。

幹事長室長として最初に仕えた田中角栄こそベストの幹事長だった。では、ワーストワンは?と聞かれれば、私は躊躇なくこの人物の名前を挙げる。
 小沢一郎である。海部内閣での幹事長就任。この時47歳。奇しくも師匠である田中角栄が幹事長になったのと、同年齢であった。権力欲が旺盛で警戒心がことのほか強かった。自民党が参議院で少数派であるため、予算、補正予算、暫定予算と参議院で否決され、両議院協議会での協議。与党として国会対策に煩雑で胃の痛くなるような調整を強いられた。このような情勢の中、小沢がもっとも血道をあげていたのは、自らの基盤固めであった。昼時になると決まって自派(竹下派)の若手だけを5~6人程幹事長室に招き入れ、奥の個室で懇談の時間を持っていた。幹事長室に自派の議員を引きずりこんで、自分のシンパ拡大に励んだ政治家は他にはいない。

二日酔いで重要会議すっぽかし

1991年米英を中心とする多国籍軍がイラクを攻撃し、湾岸戦争が勃発する。自衛隊の多国籍軍支援などをめぐって議論が沸騰している中、1月24日に自民党は定期党大会を開く。前日には各都道府県の幹事長を集め全国幹事長会議が開かれる予定となっていた。結論から言うと、その重要な会議の前夜、小沢は通産官僚と痛飲し、「高熱のため出席できなくなった」とこの重要な局面の重要な会議をすっぽかしたのだ。憲法と自衛隊の在り方が真正面から議論されている「有事」に開かれる党大会であり幹事長会議をさぼる。日頃「日本はこんな平和ボケでいいのか」とのたまうその人の真の姿なのである。

(岩手県地元建設会社)

 「野党」の党首や幹事長として職務権限が法の違反を構成する立場にはないので、贈収賄として法を犯していないというのか。では「天の声」とは、何か。工事受注を邪魔されたくないので「企業献金をした」という動機はどこにあるのか。政治家の在り方としての選挙民やその他利害関係者への総合的な福利厚生に貢献するといった謙虚な姿は全く見えない。
 「多少とも何か理念を揚げるのなら、自分がいったい何をしてきたのか、その実態を洗いざらい総括して国民に示し、まず謝罪すべきではないか。冗談じゃないですよ」(AERA 2010年1月25日)

4.政治資金規正法違反

 元秘書らの政治資金規正法違反は、2004年、2005年にあったとされる容疑である。政治資金規正法違反の虚偽記載罪(罰則は最大禁固5年)の時効は5年である(刑事訴訟法250条の5)。時効は犯人もしくは共犯者が起訴された場合には停止する(刑事訴訟法254条1項、2項)。つまり、元秘書ら3名が起訴されれば、29005年以降については、小沢氏が関連していれば小沢氏の時効の対象にはならない。

5.それでいいのか

 疑わしきは罰せずは法の精神であるが、政治家は疑わしきは説明せよである、と日経新聞は書いている。国民の税金である政党助成金は、政治活動=国民の福利厚生に資する事項のための活動に費消してもよいのであって、不動産購入がこれにあたるのか。

 西郷南洲曰く、万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を努め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行なはれ難し、ということではないか。

 このような政治はいらない。

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